特集レポートFeature Report

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SOS子ども村のはじまり

SOS Children's Village The Beginning

これは、2010年6月に発行された冊子「子どもの村福岡ができるまで」です。
この本を読むたびに、子どもの村福岡ができるまで、本当にさまざまな方からのご協力、ご尽力をいただき福岡市西区今津の土地に開村をしたのだと思わされます。
今回、連載形式で公開をしてまいります。第1回は、私たちがSOS子どもの村との出会いについて掲載をしております。
ぜひ、ご覧いただければと思います。

はじめにIntroduction.

2010年4月、日本で初めての「子どもの村」開村の日、竣工になった5棟の「家族の家」と「センターハウス」、小さいながら「円形ホール」がその姿を現し、今津の晴れ渡った空の下で、鯉のぼりが勢いよく泳いでいました。
開村式には、後援会、行政、国際本部、地元の関係者など200名を越える方々が列席、門出を祝ってくださいました。

「本当にできるとは思わなかった」「奇蹟のようだ」そんな声が聞こえていました。

たしかに、「小さなNPOの大きな挑戦」には、実現を危ぶむ声があったのは事実でした。

子どもの村を実現に導いたもの、それは、今も増え続ける「家族と暮らせない子どもたち」の現実でした。そしてこの子たちの現状を知り、支えようとする多くの人々の熱意と努力の結集でありました。

子どもの村設立までのあゆみは、「社会的養護を必要とする子どもたちをどう支え、育ちの環境を整えていくのか。それを支える資源をどこに求めていくのか」を課題として、取り組んだプロセスに他なりません。この冊子は不充分ながら、その経過を記録したものです。

言葉に尽くせないほどの力をいただいた多くの皆さまに、この冊子を持って報告に代え、心からの感謝を捧げます。

私たちはなぜ「子どもの村」をつくるのか?Why are we building a “Children’s Village”?

日本の子どもたちを取り巻く現状

2006 年、NPO 法人「子どもの村福岡を設立する会」を設立、4 年間の準備を経て、2010 年、ついに日本初の子どもの村が実現しました。困難は、初めから予想されていました。なぜ、私たちは挑戦しようとしたのでしょうか?

虐待、そして家族と暮らせない子どもたちの増加

親の病気、死亡、貧困、失踪、虐待、放任などさまざまな事情で、家族のもとで暮らすことができない子どもたち。児童相談所(福岡市では「こども総合相談センター」と呼んでいます)では、このような子どもたちが毎日のように保護されています。

福岡市では、1 年間で約400 名のこういった子どもたちが保護され、定員40 名の一時保護所は常に満杯の状態が続いています。このなかで、虐待を受けて保護される子どもの割合が年々増えており、2009 年には、この子たちの約半数がなんらかの虐待や放任状態にあった子どもでした。

頼りになるべき親から離れて、不安や怖さでつぶれそうな子どもたちの小さな胸にまで、長い間、社会的関心が向けられることはありませんでした。まして、その子どもたちが、その後どのような人生を歩むのかまでは。この子たちの深く傷ついた心をどう癒し、健全な育ちを取り戻していくのか、いま、大きな社会的課題となっています。

施設が主流の社会的養護の現状、そして課題

家庭環境を奪われた子どもたちに対する社会的養護の体制は、現在、施設養護と家庭的養護(里親)があります。わが国では、このような子どもたち約4 万人のうちの9 割が施設(乳児院、児童養護施設)で、約1 割が里親のもとで育っています。ほとんどの子どもが里親家庭で育てられている欧米とは大きな違いです。多くの子どもたちが集団生活をする施設では、一人ひとりに目を向けた子育てができにくいという現状があります。わが国の制度ではこの点が充分とはいえず、多くの課題が指摘され、国連からも改善の勧告を受けています。

日本初の「子どもの村」を、福岡に

2005 年から福岡で始まった「市民参加型里親普及事業」(新しい絆プロジェクト)がなかったら、「子どもの村福岡」は生まれていなかったでしょう。市民と行政(児童相談所)が協働で取り組むこの事業で、私たちははじめて「家族と暮らせない子どもたち」の現状を知り、課題があることを知りました。これをきっかけとして、私たちのなかに、新しいしくみを模索する熱意が高まっていったのです。SOS キンダードルフ(子どもの村)を知ったのは、ちょうどその頃でした。

源流となった「新しい絆プロジェクト」

福岡市では、家族と暮らせない子どもたちが増えつづけ、児童相談所の一時保護所も施設も満杯の状況が続くなか、市民参加によって里親を増やそうという発想が生まれました。福岡市こども総合相談センター(当時所長:藤林武史 当時名誉館長:坂本雅子)から、子どもNPO センター福岡(当時代表:大谷順子)に「市民参加型里親普及事業」が委託され、事業がはじまったのは、2005 年の春でした。このテーマに関心を持つ人々に呼びかけ、実行委員会をつくりました。「ふくおかこども虐待防止センター」や「チャイルドラインもしもしキモチ」、「アジア女性センター」、「子どもとメディア」、「にじいろca p」などのNPO 、YWCA や里親会などから幅広い参加、それに児童相談所の藤林所長、坂本名誉館長をはじめ行政関係者が加わって、多様な分野からなる実行委員会となりました。代表は、初代:松本壽通、現在:満留昭久、副代表:坂本雅子、事務局長:大谷順子の体制で、その名も“ファミリーシップふくおか”と名付けました。このネットワーク型の構成と行政との協働による推進体制が、創造的で、活力のある活動を生み出す力となりました。

源流となった「新しい絆プロジェクト」

福岡市では、家族と暮らせない子どもたちが増えつづけ、児童相談所の一時保護所も施設も満杯の状況が続くなか、市民参加によって里親を増やそうという発想が生まれました。福岡市こども総合相談センター(所長:藤林武史 名誉館長:坂本雅子)から、子どもNPO センター福岡(代表:大谷順子)に「市民参加型里親普及事業」が委託され、事業がはじまったのは、2005 年の春でした。このテーマに関心を持つ人々に呼びかけ、実行委員会をつくりました。「ふくおかこども虐待防止センター」や「チャイルドラインもしもしキモチ」、「アジア女性センター」、「子どもとメディア」、「にじいろca p」などのNPO 、YWCA や里親会などから幅広い参加、それに児童相談所の藤林所長、坂本名誉館長をはじめ行政関係者が加わって、多様な分野からなる実行委員会となりました。代表は、初代:松本壽通、現在:満留昭久、副代表:坂本雅子、事務局長:大谷順子の体制で、その名も“ファミリーシップふくおか”と名付けました。このネットワーク型の構成と行政との協働による推進体制が、創造的で、活力のある活動を生み出す力となりました。

2005 年からこれまで5 年間、年2 回のフォーラム、里親サロン、施設見学などの活動をつづけ、いろいろの成果を生み出すことができました。たとえば、

里親委託率が3倍になりました。

この5 年間で里親委託率が6.7%(27 名)から、2010 年3 月末で20.88% (85 名)となりました。低迷を続ける全国平均の2 倍となったこの変化は、全国的にも注目されています。

さまざまな気づき。それが子どもの村のアイデアに繋がりました。

「愛着の絆」、それは子どもにとって一生の財産であることを、深く学ばされました。実親がいなければ、それに代わって愛着関係を築き、永続的に支え続ける人の存在が欠かせないこと、それには家庭的環境が大切な意味をもっていることを知ったのです。「里親普及と支援は両輪」ということ。難しい課題を抱えた子どもが増えるなか、支援も得られず、孤立している里親さんも少なくありません。地域の支えや専門的支援があれば、里親さんはもっと増えるということが分かりました。「子どもはみんな社会の子」という意識への変化。ふところ深く、おおらかな里親さんたちに触れるたびに、そんな意識が広がっていくことが感じられました。

SOS キンダードルフとの出会いMeeting with SOS Kinderdorf

2005 年末、アン基金プロジェクトの坂本和子さんから、大谷ヘメールが送られてきました。「福岡の千鳥餞頭というお菓子屋の社長さんが、『子どもの村』をつくるといっていますよ。知っていますか?」というのです。すぐに千鳥鰻頭総本舗の原田光博社長(故)を訪ねました。そこではじめてSOS キンダードルフという国際NGO があることを知ったのです。彼は、若いころ菓子職人としての修行のためにドイツに滞在していたときに、チロル地方のSOS 子どもの村に出会いました。聞けば、家族を失った子どもたちがここで育てられていると。その子どもたちの明る<、生き生きした姿に感銘を受けて、いつか日本にもつくりたいと、20 年も前から思い続けていたというのです。私たちは、このSOS キンダードルフとの出会いが、日本の子どもに重要な変化をもたらすきっかけとなることを直感したのです。

世界に広がる 国際NGO「SOS キンダードルフ」

SOS キンダードルフは、1949年、第2 次大戦後のオーストリアで生まれました。戦争によって親を失った多くの子どもたちのために、当時若い医学生であったヘルマン・グマイナーが、その仲間たちとともに、チロル地方のイムスト村にはじめての子どもの村を設立しました。

以後、「すべての子どもに愛ある家庭を」をスローガンとして、戦争や災害、エイズや大事故など、それぞれの国の状況を背景として世界中に広がり、現在、132 の国で活動しています。各国の状況に応じて、生活支援、病院建設、学校建設など幅広い活動を展開しています。

オーストリアのインスブルグにある国際本部には、プログラム開発部、ファンドレイジング部などがあり、さらに4大陸に地域事務局をもつ、国連の「子どもの権利条約」を保障する子どものための最大の国際NGO となっています。

基本理念と 4 つの原則Basic Philosophy and Four Principles

基本理念

「子どもの権利尊重」を基本として、「愛着の絆」と「永続的な支え」を骨格に据えた養育理念をもっています。SOS とはラテン語の「Societas Socialis」に由来するもので、「社会的コミュニティ」を意味するとされています。

4 つの原則

『マザー』:専門研修を受け、実の親に代わる親として子どもとともに暮らし、愛着の絆を築きます。
『きょうだい』:血のつながりはなくても、子どもたちどうしで「きょうだい」として家族のつながりを深めます。
『家』:それぞれの家は、独自の「我が家」をつくりあげます。
『村』:互いに助け合って暮らし、子どもたちは地域社会の一員となっていきます。

SOS キンダードルフは、このような理念のもと、社会的養護の子どもたちをケアし、育てるプログラムを開発し、60 年にわたる歴史と世界の実践を通して発展させてきました。

理念に学び、日本独自のプログラムを目指します

SOS キンダードルフのプログラムは、世界中に受け入れられ、国際的に高い評価を受けています。世界のあらゆる子どもを視野に入れて、その幸せのために貢献しようとする商い志や、子どもの権利尊重を核とした養育プログラムのレベルは高く、しばしばノーベル賞にもノミネートされてきたといいます。

私たちは、その理念に学び、日本独自の課題に目を向けながら、プログラムの研究開発に取り組んできました。社会的養護の子どもたちを「家庭的な環境で育てる」ということ、子どもの権利尊重を核として「愛着の絆」と「永続的な支え」をその骨格に据えるということ、それは、ファミリーシップふくおかが課題として見つけてきた、そのものでした。また、家庭的環境で育てるということ、共に助け合い、地域とともに育てていくということ、専門的なサポートを保障することは、社会的養護の子どもたちに不可欠の条件であるということなど、子どもの村のプログラムや建築にも活かされています。

『子どもの最善の利益」をものさしに

あらゆる子どもたちに「生きる権利」、「発達する権利」を保障することが、国の責任として明確に位置づけられたのは、1989 年、「子どもの権利条約」が国連総会において採択されてからのことです。日本では1994 年に批准され、いまや「子どもの権利条約」は、子どものことを考え、行動するときのグローバルスタンダードとなっています。この条約の成立は、世界の子どもをめぐる情勢に、大きな変化を呼び起こしてきました。

子どもは大人の従属物ではなく「権利の主体」であるという観点、「子どもの最善の利益」の保障が重要なポイントになっていますが、これにてらしていえば、虐待は、Abuse (権利の乱用)といわれるように、「子どもの権利侵害」に他なりません。子どもを虐待から救い出し、人間としての発達を保障すること、豊かな人生を取り戻すことは、「子どもの権利回復」の課題でもあり、子どもの村はまさにこの課題と向き合うことになるのです。

知っていただくことが一番大切です

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