特集レポートFeature Report
建物ができるまでの道のり
工事体制が確立するまで
子どもの村の建設が実質的にスタートしたのは2009年6月1日でした。
この日開催された「子どもの村福岡を設立する会後援会」理事会において、後援会理事企業の具体的な支援内容が決定されたのを経て、建設工事の発注先の選定に入り、慎重な検討を行った結果、外構・造成工事及びセンターハウス並びに家族の家2棟について(株)ナカノフドー建設・(株)九電工に決定しました。これにより既に確定していた家族の家1棟寄贈のタマホーム(株)、家族の家2棟工事協力のトヨタホーム(株)、トヨタホームつくし(株)と合わせ工事体制が整いました。
ただし、この過程で大きな状況変化がありました。
後援会理事会に提起した建設内容では、当時の深刻な経済環境の下で建設資金の確保が極めて厳しいとの判断から、家族の家は4棟としていました。しかしその直後、福岡県下の小児科医が「子どもの村福岡を支援する小児科医の会」をつくり、「小児科医で家族の家1棟を」との呼びかけをし、支援するとの申し出をいただいたため、発注先を決める段階では当初の計画通り5棟を建設できることとなったのでした。
着工から完成へ
2009年8月、福岡市との土地賃借に関する契約が成立し、本格工事に入りました。土地造成が終わり、10月4日起工式を挙行、先ずはセンターハウスの建設に着工しました。起工式には多くの関係者とともに、地域の方々にもご出席いただきました。加えて地域との結びつきを一層深めるため、神事の斎主は地域の代表的な神社である登志神社の定直廣庭宮司にお願いしました。
その後、上棟式、竣工式も同様に進めました。センターハウスの工事が順調に進み、12月12日に上棟式を行いました。この日は地域の方々、子どもたちも招いて賑やかに祝いの餅まきも行いました。一段と子どもの村と地域との親密さを増す一助となったといえます。
この上棟式以降、家族の家の建築にも着手、センターハウス、家族の家5棟の建築が同時進行することになり、建設工事が日毎に盛り上がっていきました。地域住民からの関心も急速に高まっていき、「子どもの村建設工事」の看板を掲げて欲しいとの声をいただいたのでした。
工事が佳境に入った12月中旬、現場で工事に携わっている方々に、子どもの村の理念や意義、コンセプトなどについての説明会を実施し、子どもの村の理解を深めていただきました。以後工事進行中において、子どもの村がしばしば共通の話題に上るほど関心を持っていただけたことは、私どもの想像以上の展開でした。2010年に入って天候不順な時期、玄界灘からの強い寒風が吹く日々もありましたが、工事関係者の懸命な心を込めた作業により、2月下旬に予定通り家族の家2棟が完成したのに続いて、3月下旬に入ってすぐセンターハウス及び家族の家3棟も完成しました。
3月31日、行政関係者、後援会、支援者、地域など多くの方々を招いて竣工式を挙行し、お披露目を行いました。竣工式に前後して自然環境づくりや緑化計画の取り組みも進めました。そのイベントとして4月10日、「植樹祭」を行いました。当日は好天の下、樹木や苗木を寄贈していただいた企業・団体の方々、地域住民の皆さん、ボランティアの方々など約100名の参加があり、想定以上に早いピッチで子どもの村を緑で囲む作業が進行しました。この日植えた木々とともに子どもたちがすくすく育っていくことを大いに期待する想いを皆で共有できたように感じられました。
このようにして「子どもの村福岡」はその全容が完成、4月24日の開村式を迎えることとなったのです。着工から完成まで約10ヶ月間、目指す「子どもの村福岡」建設に関係者が懸命に取り組んできました。そのなかで地域の皆さんが多大な関心を持っていただき、過程を見守っていただいたことは何にもまして建築工事推進の励みとなったと思われます。
また、工事期間中、これといった事故や問題を起こすことなく心を込めて工事を進めていただいた施工関係者の多大な協力も不可欠の要素でした。加えて設計・監理にあたっていただいた(株)田島正陽建築事務所の献身的なご尽力は、永く記録に止め置かれるべきことであることはいうまでもありません。