特集レポートFeature Report
地域とともにあゆむ子どもの村をめざして
地域とともにあゆむ子どもの村をめざして
III-1.「受け入れ」の合意まで
子どもの村を建設するにあたって、地域住民の合意を得ることは前提条件でした。子どもたちを受け入れてもらい、地域の皆さまと共に育てるという共通認識を持つことは将来にわたって大切な課題です。建設地が現在の今津に決まるまで、さまざまな問題をクリアしなければなりませんでした。「家族と暮らせなくなった子どもたち」の受け入れには、地域ではいろいろな不安や懸念がふくらみ、社会的養護の施設が時代を超えて、また日本国内だけでなく世界中でみられる現実にぶつかりました。
今津は3番目の候補地でした。今津の埋立地にある1,000坪の市有地を福岡市が貸与する、という方針が示されたのは2008年2月。今津校区自治協議会を窓口にして、地域の合意を得るためのお願いをしましたが、やはり同じ問題が示されました。住民一人ひとりと向き合って対話する以外に方法はない、と、福岡市こども未来局や今津校区自治協議会役員とともに、各町内で対話のための集会を設けていただきました。あるときは公民館で、あるときは小学校の講堂で、猛暑の中、大雨の中、底冷えの中、話し合いが続きました。寒さで震えているのか、緊張で震えているのか分かりませんでした。
2008年2月、今津校区自治協議会と福岡市、子どもの村福岡との間で「覚書」が交わされ、その後の話し合いは、「今津・子どもの村福岡連絡協議会」を設置して継続していくことになりました。自治協議会の会長・石田武人氏はじめ役員の皆さんの努力は大変なものでした。「覚書」を交わしたときの石田会長の言葉は、今も私たちにとって忘れられないものになっています。それは「今津の子として、ともに育てましょう」というものでした。1年余りにわたるこうした話し合いは、非常に大切な意味があったと思っています。
そして、今津に仲間入りをして見えてきたのは、今津には子どもが育つ環境に適した、自然、文化、そして人と、恵まれた環境がそろっている、ということでした。
III-2.今津という地域
今津は、福岡市の西北部、糸島半島の博多湾に面したまち。海と山の豊かな自然に囲まれ、元寇防塁や寺社仏閣など数多くの歴史遺産があり、「今津福祉村」と呼ばれる8つの医療・福祉施設が地域に溶け込んだ「福祉のまち」として知られています。世帯数1400、人口3100人、小学校児童数195人。65歳以上の割合が38%と、少子高齢化が進む地域です。※2009年時点
◾️豊かな自然
北に白砂青松の海岸、南に今津干潟、東に毘沙門山(びしゃもんやま)、西に柑子岳(こうしだけ)と自然に囲まれています。今津干潟には「生きた化石」として知られるカブトガニの産卵場として有名で、また世界的にも貴重な鳥であるクロツラヘラサギの飛来地としても知られています。
◾️今津人形浄瑠璃
江戸時代後期に始まった伝統の人形浄瑠璃が受け継がれており、毎年秋には、まちを挙げての公演会が催され、地域の人たちの楽しみになっています。子どもたちは3年生になると夏休みから秋にかけて「傾城阿波鳴門」を練習し、大人と一緒に出演するのです。
◾️十一日祭り
今津の神社の年頭の祭りです。この日ばかりは無礼講で、山車を引き、各家を「祝うた、祝うた」といいながらまわり、酒や料理の振る舞いを受け、子どもたちもお菓子などをもらってまわります。かつてはどこにもあった地域のつながり、文化や祭りが残る、子育て環境としてはとびきり豊かな資源に囲まれた地域です。
III-3.「子どもが育つまち今津再発見」
今津では公民館を中心として子育てサロンやさまざまなボランティア活動、学習会が盛んです。私たちは2009年半ばころから、「今津の子ども・子育てを考える学習会」に参加し、社会教育の研究者、相戸晴子さんのコーディネートもあって今津の人たちとの交流が進みました。そのなかで「子育てハンドブック」を作成する企画が生まれ、共同制作にて、「子どもが育つまち今津再発見」を発行しました。
私たち「子どもの村福岡」から見えた今津は、ずっと住み続けている人々にとっても「新たな発見」であるという意味をこめて、「今津再発見」という言葉を選びました。この編集作業を通して、子どもの村福岡と今津の住民の皆さまとの関係が一層深まったのはいうまでもありません。