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【 メールマガジン限定 】ニュースレターコラムのご案内 ※※6月30日まで限定公開※※

皆さんこんにちは、事務局の藤本です。
今回は、子どもの村福岡にて育親(里親)をしている松島さんの記事を、
メールマガジンをご覧いただいている皆様へ限定で公開させていただきます。

一昨年、インドにあるSOS子どもの村インターナショナルのアジアオフィスから、
「SOS子どもの村JAPANをアジア向けの冊子に掲載したい」と依頼があったため、
育親の松島さんのニュースレター原稿を英語に翻訳して提供したことがありました。

英語に馴染まない表現(「3人で川の字に寝る」など)を、
どのように伝えようか?などと悩みながら何度も読み返したので、
この原稿は私にとって思い入れのあるものとなっています。

ここには、松島さんがSOS子どもの村の育親になろうとしたきっかけや、
幼い姉妹との日常生活などが書かれています。
松島さんにとっては、初めての子どもたちの受入れだったので、
きっと大変なことなどもあったと思います。
今読み返してみても松島さんの「優しさ」と「決意」が伝わってくる内容になっていると思います。

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「今日はいい日だった」と感じてほしい
子どもの村福岡 育親 松島 智子さん

子どもの村福岡で、2018 年に育親になった松島智子さん。
育親になったきっかけ、子どもたちとの生活などについてお話します。

○育親になったきっかけ

私が実親のもとで暮らすことのできない子どもたちと関わって十数年が経ちました。
そのうちの約10 年間は、児童養護施設で子どもたちと一つ屋根の下で生活していました。
その生活は、笑いと涙、喜びと反省の連続でした。

育親として子どもの村で生活し始めたのは約1年前(2017年頃)で、
今は幼稚園に通う姉妹と3 人で暮らしています。

私自身の子ども時代は、両親からどんな時でも信じて応援してもらえる温かい家庭で育ちました。
休日には、家族で山や公園に出かけた思い出がたくさんあります。
そんな幸せな子ども時代を、実家族と暮らすことのできない子どもたちにも
プレゼントしたいという思いから育親になりました。

いざ育親に応募する際には、本当に自分にできるだろうか?と
不安にもなりましたが「自分がそれをすることで困る人がいないのだったら、迷わずやればいい」と
背中を押してくれた人の言葉で決心がつきました。
その言葉をくれた人には、今とても感謝しています。

○子どもの村で生活して

姉妹を里子として迎え、彼女たちから「まっつー」と呼ばれるようなってまだ1年ですが、
もっとずっと長く一緒にいたように感じます。

初めは、私に色々な形で遠慮していた姉妹も、今では容赦がありません。
様々な傷つき体験をした子どもたちは、幼いながらも大人をよく見ています。
「ああ、今は私の器が試されている! 」と感じる時があり、
「どんと来い! 」といつも穏やかにいられたらいいのですが、
さすがにそのような時ばかりではなく・・・

悲しいかな自分のちっぽけな心の器を子どもに公開してしまうこともしばしばあります。
子どもとの関わりの中で行き詰まったり、
自分が疲れているなと感じたりすると、隣に住んでいる先輩の育親さんや、
一緒に子どもを育ててくれるスタッフの顔を見に行きます。

そんな時、子どもとのやり取りを話して大笑いしてもらったり、
「そう言えばうちも昔はあったよ」と言ってもらえたりします。
子どもの村のこのような環境は、私にとってありがたく、心強いと感じる日々です。

里親は決して子育てのプロではありません。
普通の家庭のお母さんやお父さんと同じです。

だからこそ、人と共感し合えたり支え合えたりすることが大切だと思います。

○心がけていること

私が子どもと関わる時に大切にしていることは、
子どもが良い状態の時もそうでない時も責任をもって受け入れるということです。
今はまだ幼い姉妹ですが、これから成長していくにつれて様々な困難な場面に直面すると思います。

これまでも、彼女たちより年上の子どもたちと一緒に生活していて、
「この子のことがわからない。自分には対応できない。もう無理かもしれない」と感じたこともありました。
しかし、そんな時に私を踏み止まらせてくれたのは、自分の家族の存在でした。
私を信じて応援してくれる家族を思い浮かべると、頑張ろうという気持ちになります。

社会的養育が必要な子どもたちにも、
心の中に大切な人の存在を感じてほしいと思っています。
私は、子どもたちが悲しい時や誰かを頼りたいと感じた時、
ふと思い出してもらえる一人になりたいです。
「今日は誰かと話したいな」と思った時、一番ではなくてもいいので、
何番目かにでもその候補にあげてもらえるように、これからも丁寧に関係を作っていこうと思います。

○子どもたちのはなし

姉妹は乗り物が大好きです。
一緒に電車で空港まで行って飛行機を眺めたり、
新幹線で遠出したりしたこともあります。
彼女たちとの思い出の写真は増える一方ですが、
ここでは写真に残すことができない暮らしのエピソードをお話したいと思います。

我が家のリビングには中庭に出ることができる大きな窓があり、
その窓からは海や駅を目指して走る車を眺めることができます。

ある日、「あのひよこみたいな車かわいいね」と子どもが窓に張り付いて言いました。
その優しい黄色の車は、実は頻繁に家の前を通っていることが分かり、
「あっ! ひよこの車!」と姉妹は車を見つけるたびに喜んでいました。
そのひよこの車は、調べてみるとフォルクスワーゲンの車でした。
そしてそれは、「まっつー、あの車に乗ってみたい。買って! 買って?」と
無理難題なお願いをされた夜のことでした。
私たちは、和室に3 枚の布団を敷いて川の字になって寝ています。
寝る前に絵本を読んで電気を消し、しばらくたった時
「ああ、今日すごーくいい日やった」と
お姉ちゃんが天井に向かって呟いたのです。
私がどんな素敵なことがあったのかを尋ねると、
「だって黄色いワーゲン2 回も見れたけん。幸せ」と
私の耳元でささやいて教えてくれました。
瞬く間に私の心はじんわり温かくなりました。

その夜から私たちは、憧れのひよこを「幸せの黄色いワーゲン」と呼んでいます。

彼女たちに、明日も明後日も「今日はいい日だった」と一日の終わりに感じてほしい。
そして私は、その思いに共感して寄り添える大人でありたいです。
子どもたちと一緒にいると、特別な日ではなく、淡々と暮らす平凡な日常の中に幸せが詰まっているのだと感じます。
そしてその幸せをしっかりと感じ、感謝できる家族でありたいと思います。
色々なことを子どもたちに気づかされ、学ばせてもらう毎日です。

○子どもたちと私のこれから

ご縁があって里子里親という関係になりましたが、
子どもたちの将来を考えたときに一番望ましいのは、
実家族が子どもを迎え入れる準備を整え、
再び一緒に暮らせるようになることです。

その日が来るまで、実親に代わって愛情を沢山注ぐのが私たち里親の役割です。
子どもたちは日々色々なことが出来るようになります。
成長していく子どもたちに負けないように、私も成長したいと思っています。

私に出来ることはごくわずかと限られていますが、
今はその限られたことを精一杯したいと思います。
それは、良い時も悪い時も、すべての時がその子の未来を作る大事な時間であることを忘れず、
子どもたちと一緒に暮らしていくことだと思っています。

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当時は幼かった姉妹でしたが、今春から妹も小学生になりました。
実は松島さんにお願いして、最新のアニュアルレポートの表紙用に
2人揃ったランドセル姿の写真を撮影してもらったのですが、
きっと「藤本さんに写真渡すから、張り切って歩いて!」と
姉妹に言ってくれたのだと思います。

少し芝居がかったようにも見えますが、
後ろ姿でも感じ取れる姉妹のワクワクした歩き姿の写真を撮影できるのは、
松島さんと姉妹の3年間の絆の証しだと思います。

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