インタビューInterview
自分が救われた「音楽の力」を多くの人に聴いてもらいたい
「SOS子どもの村」の活動を支援するためのコンサートを2015年から企画してくださっている萬年順子さん。
2025年のコンサートで10周年を迎えることもあり、これまでの活動とその想いをお聞きしました。
私にできることっていうのは音楽しかない。「じゃあコンサートしよう!」
SOS子どもの村JAPANのことは、娘から聞きました。
「寄付をしたり社会に恩返したりするところはないかな」って聞いたらここを教えてくれて寄付をしました。
それからマンスリー会員だけじゃなくてほかにも何かできないかなと思って…。
「私にできることっていうのは音楽しかない。」「じゃあコンサートしよう!」と、頼まれもしないのに、自分でさっささっさと計画して始めたんです。
私の父は音楽が好きで、私もいい音楽をたくさん聴いて育ちました。いつも音楽に「頑張れ頑張れ!」って言われている気がして、音楽にいっぱい力をもらってきました。
音楽の力っていうのは、病院で薬をもらったり注射をしたりするよりも、もっと効果があると思っています。
だからたくさんの人にいい音楽を聴いてもらいたい。
コンサートは社交の場、出会いの場でもあるので、SOS子どもの村JAPANの活動を紹介したら人間の持つ優しさが広がるかなと思って、
イタリアで出会った留学生たちを呼ぶコンサートを企画しました。
病気で寝たきりになり、起き上がれなかった一年間。それがあったからイタリアに行けました。
実は一年間、病気で起き上がれなくてぼけーっと考えているだけの時がありました。でもその時も音楽を聴いてどん底の自分を這い上がらせました。
病気が治り、自分にはやっぱり音楽しかない!と思い切って一歩を踏み出し、43歳の時に単身でイタリアに行って人生が変わりました。
オペラが大好きなのでオペラがわかるようにイタリア語を勉強して、ホームステイして語学学校に行きました。
主婦にも有休休暇があると言って何度かイタリアに行きましたが、その時に日本人かなと思った人みんなに声をかけて、ご飯を食べに来てもらいました。
イタリアには若い留学生が勉強に来ていました。彼らはお正月も日本に帰られず寂しいだろうし、日本語を話したいだろうからとおせち料理を作ってあげたりしていました。
その留学生達が今では立派な演奏家になって協力してくれています。
彼らとの素敵な出会いがあったから、こうやってコンサートを開催してこれました。
毎回の集客は本当に大変。でもそこでまたいろんな人に助けられています。
コンサートはあの当時出会った留学生が福岡でもデビューしたいという希望を叶えるものでもありました。
でもまだ無名の音楽家で集客はとても苦労しました。
コンサートの前にはこれまでの知り合い150人以上に、メールを送ったりお手紙を書いたりしてきました。汚い字でたくさん書いて送りましたよ。
イタリアで会った人や留学している人にも出しました。でもほとんどの人が来てくれて本当に感謝しています。
西鉄電車で隣の席に座った人にも「音楽お好きですか?」と話しかけてチラシを渡してチケットを売ったりもしました。(笑)
声をかけると、音楽が好きな人はチケットを買ってくださいましたよ。
本当に音楽が好きな人に聴いてもらいたいと思っていたので、音楽が好きな人が聴きに来てくれて、繋がりができてこれまでやってこれました。
心豊かな人がコンサートに来てくれて、みなさんすっと募金をしてくださいました。
コンサートをすると、出演者の彼らも「僕たち募金箱を持ちます」「自分たちでできる一番いいことは、やっぱり演奏が終わったら募金箱持つことだよね」って言ってくれて、出演者の人たちも活動のことを理解して応援してくれています。
SOS子どもの村にボランティアとして関わることで私自身が磨かれてきました。
2025年のコンサートで最後にしようと思っていますが、そのコンサートにも「私最初のコンサートから出ているので歌います!」と言ってくれる声楽家もいて、本当にありがたいことです。
もうやるべきことは全部やったかな。喜寿を迎えた私は最後のコンサートを心込めてやり遂げたいと思っています。
SOS子どもの村JAPANの活動は最初の頃からボランティアとして関わっているけれど、いろんな経験をさせてもらって、私がすごく成長して私が磨かれてきました。
子どもの村の活動もいろんなことにチャレンジして、やっぱり行政だけではできないことに取り組むNPOの活躍はすごいなと思います。
コンサート企画はすごく大変だけど、自分が一番満足しています。みんなには迷惑かけているけど、私としては最高に満足なの。
こんな幸せなおばあさんいません。って文章を締めておいてください(笑)。